浦安の海。かつては漁師町として栄えた浦安。今日も沖の100万坪にあさりを採りに行く人がいる。
 
 
 
「昭和30〜40年頃までは一人で1トンぐらいあさりが採れた時もあったね」浦安市堀江 渋谷俊夫さん(72歳)
 堀江ドックにほど近い所に住む渋谷俊夫さん(72歳)。「この辺は、昔は畑。俺は見たことないけど蛍を見た人もいたって聞いたよ。ヤンマ(オニヤンマ・ギンヤンマ)がいっぱい飛んでて、のどかだったし、川や海もきれいだったね」と幼い頃の浦安の情景を振り返る。
 十代から海に出て約60年。浦安のあさり漁師は全盛期200〜300人いたが、現在は30人ぐらいが晩のオカズのためにあさりを採る程度。「年々あさりが採れる量が減ってるけど、今年はとくに採れないよ。埋立ての影響もあると思うけど、カニやムラサキ貝(汚損生物)など、外来種の影響があるのかね」。
 浦安の漁業は、三番瀬(船橋・行徳・浦安沖)や三枚洲(葛西沖)などの遠浅の海を漁場とし、魚類や貝類、海藻類を採っていたが、昭和30年代からは工場や家庭から流される排水によって漁場がしだいに汚染され、水揚げは年々減少の一途をたどった。それでも「昭和30〜40年頃までは一人で1トンぐらいあさりが採れた時もあったね」と話す。この当時は、赤潮の被害にあっても、死んだあさりの回りに多くの稚貝があり、次の漁までに大きく成長するのをみて自然のサイクルの素晴らしさを感じたそうだ。
 今年72歳になる渋谷さん。鉄でできた7kgある腰巻かご(アサリを採るための道具)や直径80cmほどのザルなどを船に積み、一人で海にでる。
 水深約70cmの漁場に着くと錨を下ろし、腰巻かごを無造作に海に投げ入れる。渋谷さんは海に入り、かごを紐で腰に巻き、後ろ向きにひたすら10cm程度の砂地を掘り返し進んでいく。10分ほど経ち船に戻るとかごの中には多くの貝が入っていた。ほとんどが『潮吹き』と呼ばれる貝だったが、あさりや大はまぐりもあった。「潮吹きも貝むきを使いすぐ身をはがし調理すればおいしいけど面倒だからね」と海に戻すことに。
 3度これを繰り返し、ザルの中には家族で楽しめるだけの貝が採れた。「以前は大三角(現在の舞浜)で大ハマグリもたくさん採れたが、大ハマグリは水が綺麗で、淡水と混ざり合うところを好むため、ここ最近ではあまり採れないね」と。
 陸に上がり「ケンカしないように大はまぐりはじゃんけんで決めるか。それにしても今日は良いはまぐりが採れたね」と日焼けした笑顔いっぱいの漁師の顔は、友だちに宝物を見せるときの、子どもの笑顔と同じように見えた。
<編集後記>
貝が入ったかごを船の上へ軽々上げる姿。船のヘリにつかまり軽々と水中から船の上に飛び乗る姿。軟弱世代の私からは創造できない体力を持つ渋谷さん。今日も元気に海に出る姿を思うとともに、くれぐれも事故のないように祈ります。
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