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猫実の庚申塔 昭和57年(1982)市指定有形文化財
庚申塔は、正徳(しょうとく)5年(1715)1月、猫実村の庚申講の信者によって建てられた。
青面金剛菩薩(しょうめんこんごうぼさつ)を刻んだ庚申塔では、市内最古のもの。
塔の正面には、邪鬼(たたりをする神)を踏みつけておさえている青面金剛菩薩、庚申の干支にちなんで「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿が刻まれている。
庚申信仰は、もともと道教(中国の民間信仰から発達した宗教)の三戸説(さんしせつ)に始まったもの。
三戸説では、60日に一度の庚申の夜に、人の体内にいる三戸の虫が抜け出し、天の神様にその人が犯してきた罪を告げるのだといわれている。
これを聞いた天の神様は、その分だけその人の命を削りとり、早死にさせるので、この虫が抜け出ないよう、信者たちは夜通し話しや会食をして過ごした。
ただし、この地域では、庚申の晩に祭礼を行ったというような記録は残っていない。
大正時代には、毎月25日が祭礼日とされ、現在でもこの日に病気の回復などが祈願されている。
かつては、祭礼の日には、お堂の前の道に露店が立ち並び、多くの参拝者でたいへん賑わったといわれている。
今日でも、先人たちの信仰心が脈々と受け継がれ、この塔は「猫実の庚申様」として、地域の人々に大切にされている。
平成16年1月 浦安市教育委員会
※史跡表示板より |
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明治三七・八年戦役記念碑
日露戦争後、村民の間から戦勝を記念すると共に出征軍人の武勲を後世に伝えるため、記念碑を建立しようという声があがった。
田中徳次郎村長は村会を開き協議をし、浦安村尋常小学校校庭東南隅に建立することに決定。
村内の有志から寄付金を募集し建設費にあてた。
高さ3.75m、幅1.4m、厚さ0.3m。大きな仙台石を用い間知石を高さ1mに積み上げた台座の上に左右に自然石を配した。
石碑表面の題字「明治三七・八年戦役記念碑」の文字は、日露戦争時、第3軍司令官 乃木希典に依頼。3名の村会議員が赤坂の乃木邸に行き話したところ、快く懇請に応じてくれた。
記念碑の裏面の書は、南行徳村相之川の小川潤敬。上部に義勇奉公と書かれその下に戦病死者並びに出征軍人の氏名、明治39年4月浦安村有志者建之と刻む。
明治39年4月に竣工式を挙行した。
(参考:浦安町誌) |
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浦安市 中央公民館
サークル活動、講習会などで利用する人が多い中央公民館。
施設の内容は、会議室・和室・工芸工作室・視聴覚室・調理実習室・大集会室・体育館・図書館分館
開館時間:午前9時〜午後9時(日曜日は午後5時まで)
休館日:祝日、年末年始、定期清掃日(月1回)
ホームページからも部屋の空き状況や予約もできます。
http://kyoiku.city.urayasu.chiba.jp/
kominkan/chuou-kouminnkan/
index.htm |
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浦安市立 浦安小学校
明治22年4月 猫実、堀江、当代島の三つの小学校を合併し、浦安尋常小学校が創立され、明治27年12月3日 猫実郷藏尻に移転し、この日が創立記念日となる。
明治28年1月29日 高等科を併置し、浦安尋常高等小学校と改称。
その後、大正6年10月1日 大暴風雨と津波、大正12年9月1日 関東大震災による倒壊などを経て、昭和16年4月1日 浦安国民学校と改称。
平成元年5月14日 創立100周年記念式典開催。来年には創立120年を迎える。
(参考:浦安小学校ホームページ)
http://www.city-urayasu.ed.jp/cgi-bin/
odb-get.exe?WIT_template=TSOPC1Top
S0000&f=&p=&o=155::1159::1025&r=6451 |
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浦安市立 若草幼稚園
浦安小学校の目の前にある若草幼稚園。
平成18年5月1日現在の園児数は、年長・年少各70人の定員数に対して、年長55人、年少16人。 |
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寛栄稲荷
猫実を歩いていると、いくつかの稲荷を見ることがある。
その一つが浦安小学校裏手にある「寛栄稲荷」。
「稲荷」は、商売繁盛や家内安全を祈願し、敷地の中に立てられているが、この稲荷は何を祈願したのだろう。
「寛」の意味は、「扱いが緩やかなさま」だそうだ。 |
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浦安市猫実四郵便局
浦安で最初に郵便局が設置されたのは、明治37年12月23日(1904年)、堀江三等郵便局。
浦安映画劇場の自宅を郵便局舎にしたそうだ。
その時、郵便ポストは堀江と猫実の2箇所に設置。
その後、明治39年6月26日に局長変更に伴ない猫実279番地へ移転した。
現在は浦安市内に郵便局は8箇所ある。 |
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