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神社の歴史に関しては、永仁元年(1293年)の大津波や元禄、享保、寛政、安政など3、40年ごとの大津波の被害で記録は全て流出してしまったので、詳しいことは不明だそうです。(資料:浦安町誌)
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豊受神社
保元2年(1157年)に建立された浦安最古の神社。
明治初年までは神明宮と呼ばれていたそうだ。
<大銀杏>
昔、境川の河口に流れてきた小さな銀杏の木を村のものが拾い上げ、豊受神社の境内に植えられたものである。
樹齢は350年を越す。
春は緑に秋には黄色く色づく。
<富士塚>
豊受神社の一隅に、浅間神社を祀った小さな山があったが大正十二年(1923年)氏子たちは、その上に畑の土を盛り上げ、墨石を購入して、富士山をかたどった大きな山を築き、頂上に木花咲耶姫命(このさくやひめのみこと)を祀った石造りの浅間神社を安置し、山の中腹に中道まわりという道を造った。
毎年6月30日には神前に神楽が奉納され、富士講おn人たちは井戸水で水行をとり、体を浄めたあと、真白な行衣に白い帯びを締め、手甲、脚絆に身を固め、菅笠をかぶり、金剛杖とりんを持って六根清浄と唱えながら神社に参拝し、翌7月1日富士山の山開きに出発する。盛況を極めた富士登山も昭和初期には次第にさびれ、今日ではほとんど影をひそめている。
平成2年3月 浦安市教育委員会
豊受神社のホームページ
http://members3.jcom.home.ne.jp/toyoukejinnjya/ |
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海照山 花蔵院(真義真言宗)
本山は和歌山県根来寺。昔は海照山花蔵院神宮寺と称していた。
本尊には、大目如来を安置。
永仁元年8月25日(1293年)の大津波で堂宇、記録など流破し創建は確かではない。
天正5年正月(1577年)当時中興の開基賢融和尚によって再興された。
<公訴貝猟願成の塔>
天明2年1月から約7年にわたり船橋村と三番瀬の漁場をめぐり争われ、三人の村人が犠牲になった。その三人の冥福を祈りその業績を後世に伝えると共に公訴の勝利を記念すべく村人の浄財によって建立された。 |
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真言宗豊山派 東学寺
本山は長谷寺(昔は小岩の善養寺)
永禄年間(1558年〜1569年)に常誉法印の開基。
<薬師如来>
元亀(1570年)の頃、堀江村に与八郎という人が住んでいた。
あるとき、与八郎の老母が砂浜で人形のようなものを拾い、家に持ち帰り玩具箱に入れておいた。
その頃、村中に疫病が流行し、同家でも主人を除く家内の者全員が煩って難渋していた。
当時、武州木根川(埼玉県)の薬師如来は霊験あらたかなところから、与八郎は家人の病気回復を祈願しようと参詣した。
すると薬師の別当に「何も遠路はるばる来なくても、あなたの家には尊い如来様があります」といわれ急いで家に帰り探したところ、玩具箱の中に亀の上にあらせられる薬師如来を発見した。
早速、この薬師如来を仏壇に安置し、香華と念仏を怠らなかったところ、程なく家人の疫病もみな全快した。
後日与八郎は、東学寺に、御利益あらたかなこの薬師如来を奉納した。 |
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浦安大師 |
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説江山 正福寺 (日蓮宗一致派)
4月8日(日)より、正福寺境内で、三八(さんぱち)市が16年ぶりにに復活する。
開催日は、毎月8日・18日・28日の午前8時から正午まで。 |
総本山は山梨県の身延山久遠寺で、中山の法華経寺の末寺として、文禄2年(1593年)に十乗院日詠律師により開山。
本尊は法華経開顕久遠の釈尊一塔両尊四菩薩。
その後、明治13年1月23日の大火事で焼失してしまい大正11年11月、17世日心上人の時に再建され、この時中山法華経寺から日蓮大菩薩尊像が寄贈された。
現在の本堂は平成6年に改修。
しなび地蔵尊
昔、堀江に「しなび」という屋号の家があった。
ある時しなび家の主人が江戸へ行商に行き、焼け野原で首の欠けた地蔵尊を見つけた。主人はこれを家に持ち帰り首を刻んで修復することを約束し、自分の皮膚病が治るようにと祈願したところ、病気がたちまち快復した。
主人はさっそく首を刻んで地蔵尊を原形に復して懇ろに供養した。
その後、このことを伝え聞いて、参詣祈願に来る者が
増えたので毎月24日を縁日としたが、この日は参詣者が列をなしたほどだったという。
正福寺のホームページ
http://ys.bitpark.jp/syoufukuji/ |
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しなび地蔵尊 |
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宇田川家(浦安市指定有形文化財)
宇田川家は明治2年の建築で現存する民家建築年代がはっきりわかるものとしては市内最古の民家。
宇田川家のページ
http://www.city.urayasu.chiba.jp/a013/b005/d06400003.html
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旧大塚住宅
この住宅は、構造・間取・間仕切・間口部・設備・部財の仕上げなどの特徴及び家伝から19世紀の中期(江戸時代末期)に建築された木造平屋建寄棟造茅葺の漁家。
旧大塚住宅のページ
http://www.city.urayasu.chiba.jp/a013/b005/d06400002.html
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清滝山 宝城院 (新義真言宗豊山派)
本山は大和の国(奈良県)長谷寺で、昔は、清滝山観音寺宝城院と称し、武蔵国小岩村(江戸川区小岩)善養寺の末寺。
本尊は不動明王(春日作)で建久7年4月(1196年)に醍醐山願行上人の開基によるものだが、天正15年7月(1587年)に中興開山覚厳法院によって再興された。
<庚申塔>
元文元年12月(1736年)宝城院住職賢宥法印によって建立された。
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清瀧神社
建久7年(1196年)建立。
祭神は、大海津見神(大綿積神・オオワタズミミコト)。
清瀧神社本殿
安政2年(1855年)9月に建て替えられたが、建築にかかった費用は、村人たちが長年にわたり、毎日少しずつ積み立てて用意した。
清瀧神社のホームページ
http://members3.jcom.home.ne.jp/seiryuujinnjya/
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光縁山 大蓮寺
浄土宗鎮西派、大本山増上寺の末寺。
行徳領内三十三観音札所めぐり最後の三十三番目がここ大連寺。
1544年(天文13年)に、小田原の大蓮寺の行脚僧・覺譽存榮上人が浦安に参り、当地にあった勢至菩薩像の小堂に参拝し、堂宇を建立し大蓮寺と名付け開創された。
鐘楼堂は、明治16年の建立で、裏門は300年以上前の大名黒田藩・江戸屋敷の門を拝領したもの。現本堂は昭和2年に建立され平成8年に改修築し、三夜堂と地蔵堂を建立した。
薬師如来瑠璃光浄土之庭と阿弥陀如来諸菩薩来迎之庭がある。 |
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